平凡なぽっちゃり嬢が脱いで稼げた時代

指名が得られないのは相手との向き合い方

高収入を稼ぐためには昔以上に努力が必要私がAVを結果的に引退することになった作品では、かなりのハードな演技を求められ、自分でも体当たりしたつもりではあるのだがセールス的には全くの惨状であった。
そんな経験をしたのだから、求められたもの以上に、さらに高次なものを導かないと稼ぐことはできないのだと考えてしまったのは、私がまだ若かったことからの誤解だ。
性風俗店でも働くようになってから、私は目の前の男性客のリビドーを刺激することを第一の使命とし、己の小さなやりがいやプライドは、その後に守るようになった。
自分の動機は全く殺し、ロボットのように男性客の欲求に従えば良いと思ったのだった。
しかし、それも誤りである。
私は男性客をなかなか満足させることができず、リピーターである指名をなかなか思うように集めることができなかった。
どうしてなのだろうか、私はその原因になかなか気がつくことができなかった。
AV女優としてのプライドもあったのだろう。
事実、私と男性客の間では「身体的性的コミュニケーション」が成立していなかったのだ。
AVの撮影と同様、カメラの向こうの想像上の男性客を意識した演技のように、自分の中の想像上の男性客に対して接客をしていたのだ。
目の前の男性客のリアクションを見ないのだから、自分勝手な接客しかできない風俗嬢を誰が次回指名するのだろうか。

いつのまにかぽっちゃりAV嬢になっていた

あの手この手で騙されてAV女優になった自分から望んだわけではないAV業界ではあったが、なぜ、あのように何本ものビデオに出演してしまったのか。
友人の紹介で、AVとは知らずに求人に応募したのだった。
自分の容姿にも自信がなく、ただの太目でぽっちゃりした自分の身体にコンプレックスを持っていた当時の私はまだ若かった。
以前、「AV求人に求められる女性の資質」回の中で昔のAVについて書いたが、私もその昭和のAV女優の一人だったわけだ。
同世代の女性のほぼすべてが同様なコンプレックスを持っていることを、当時のぽっちゃりした私に現在の私が伝える手段があろうか。
「モデル」「全然ぽっちゃりじゃないよ」「タレント」「かわいい」「笑った方がいいよ」。
そんな言葉を撮影で浴びせられ、気分が良くなったのだろう。
気がつけば、1本目のAVの撮影は終了していた。
セックスそのものの不安と同様なのだろう、激しい熱波のような撮影のうねり、興奮の波。
それが過ぎ去ると訪れる、薄暗い後悔。
「もう辞めよう」、そう決めて面接官であった男に勇気をもって告げると、ピンク色の甘い言葉につつまれるようにして説得され、1万円札の束を渡されるのだった。
そして次の撮影。

ぽっちゃり嬢に甘い言葉をかけない訳

風俗嬢になろうという子は自分を褒められたい、認められたいという子が多い現在のデリバリーヘルスの面接において、私もあの面接官の男のように、ぽっちゃり嬢たちの気分を良くする甘言で説得すればよいのかもしれない。
そして、ぽっちゃり体型にコンプレックスを持っていて、金銭的に苦労してデリバリーヘルスの求人に応募して来た彼女たちも、おそらく私から甘い言葉で入店を説得されることを望んでいるのはわかる。
だが、それでは、ぽっちゃり嬢たちは望むだけの報酬を受け取れないばかりか、彼女たちをプロデュースする立場である私の店も傾いてしまうのは自明だろう。
私のようなただのぽっちゃり体型の女が出演したAVが巨額な報酬をあの男にもたらしたように、私はデリバリーヘルスという事業において、ぽっちゃり嬢たちに同様の報酬を支払えるビジネスモデルを持ちえない。
それは、AVとデリバリーヘルスのビジネスモデルの違いではなく、性を売り物にするビジネスモデル全てにおいて共通する。
私が稼げた時代は、「どんな女性でも、たとえぽっちゃりでも、裸になれば稼げる」時代であった。
だが、現代はそうではない。
1000人に一人の逸材である女性であっても、努力せず向上心もない、誰かに説得されてしぶしぶ脱ぐような「性」に、値段がつくような社会では現在はないのだ。