求人広告で採用したいぽっちゃりした子の能力

ぽっちゃりのプロであるために

風俗において仕事ができることはもてること風俗は、リクルートの分野では高収入の枠にカテゴライズされてはいるが、その陰にはやはり高給と引き換えにライバルは少なくない。
「清楚にみられたい」など、己の小さなプライドを守りながら、この激戦の「ぽっちゃり風俗業界」で生き抜いていくのは並大抵の努力ではいけないということだ。
何が言いたいのかというと、ぽっちゃり嬢よ、まずプロであれということである。
コンビニに置いてある普通の週刊誌にも、フェラチオのテクニックや乳首の愛撫法が掲載されている。
世の中の、セックスフレンドや彼女、妻たちがそれを学んでいるというのに、ぽっちゃり風俗嬢が清楚であっていいはずがないであろう。
男性客はエロいことがしたくて風俗店にくるのに、接客する風俗嬢が素人以下なら、そもそも風俗ですらなくなってしまうではないか。
そして、「流行るデリヘル店はぽっちゃり女性を選ぶ」の回で紹介したように、お店として1人を採用するのに、当然運営コストをかけている。
風俗嬢以下の素人に対してコストをかけるなんて、そんなバカな店はどこにも存在しない。
風俗嬢になるためにはそれなりの向き合い方があるはずだ。

面接では魅力の10%も伝わらない

20年近く、もしくはそれ以上を「ぽっちゃり女性」として生きてきたのだから、それだけで語れるべき「ぽっちゃり哲学」は身についていてしかるべきだ。
面接をしていて思うことは、こちらが水を向けても、その「哲学」とやらが10%も伝わらないことがほとんどである。
おそらく、こう考えているのだろうなと想像することはできるが、自分の哲学や長所に「気づき」があるか無いかでは、今後の風俗嬢人生でどれだけ稼げるかが変わってくることだろう。
自分がどのようなぽっちゃりであるのか、これまで生きてきた人生のなかに、ぽっちゃり風俗嬢のプロとしてアピールすべきことはあるはずだし、志望動機もその中からしか生まれてはこない。
もう一度、自分の心と向き合うことは、たとえ結果的に「ぽっちゃり風俗嬢」にならないという結論に至ったとしても、決して無駄なことではない。
それは将来の人生設計においても大きく影響してくることではないだろうか。
職場やバイト先の先輩でもいい、また親族や恋人や友人でもいい、客観的に自分とは何なのか、もう一度考えて面接に臨んでほしいと願っている。

自己紹介は「ぽっちゃり嬢」としての過去

ぽっちゃりの哲学を持っていれば、それをどう男性にアピールするかの術がわかる自己紹介とはつまり、ぽっちゃり嬢としての哲学である。
自分自身のことでもあるし、語るべきことはあるはずだ。
これまで生きてきた過去の人生でどれだけの思いを込めてきたのかによるのだろう。
たった10分の面接で、過去の人生なんて語れないと思うかもしれない。
しかし、以前、「ぽっちゃりで誤解されがちなこと」の回で述べたように、ぽっちゃり風俗嬢として実際に接客をする現場では、もっと短い時間で男性客に気にいってもらわなければならないのだから、その練習だと思えば難しくはないのではないだろうか。
私は、現在もがんばってくれている風俗嬢たちに「面接で怖かった」と言われることがしばしばある。
たしかに、どんな女性に対してもにこにこと笑って、まずは試しに働いてみようと、悪戯に体験入店を勧めるような面接官ではない。
そのような面接が他店においても行われて、実際に働いているのだとしたら、プロの自覚も技術もないぽっちゃり風俗嬢をあてがわれた男性客に対して、ずいぶん失礼な話ではないか。
ニコニコ笑う「見てくれだけの面接」で採用した風俗嬢が、稼げる確率は恐らく低い。
乱暴な言い方になるが、私の面接は「落とすための面接」である。
それは、何も意地悪で不合格をだすわけではない。
風俗嬢として、店の売り上げ、円滑な運営に貢献してくれる子であるかどうかに重きをおいているだけなのだ。
それだけ精査した人物こそ、私の店にはふさわしいと思う。
そのような面接での、突っ込んだ質問はその場での即答は難しいかもしれないが、働いている間に「あの面接で聞かれたことは、これだったのか」という気づきにもつながるのだから。