ぽっちゃりで誤解されがちなこと

性衝動とは違うぽっちゃりが好きということの意味

ぽっちゃりと聞いて一般的に連想されことはマイナス要素が多い「身体的性的コミュニケーションの動機」と「性衝動(リビドー)」は異なる。
「性衝動(リビドー)」は、三大欲求のひとつであり、ぽっちゃりでなくとも老若男女の人間以外でも、動物でも持っているものだ。
第二次性徴を迎える以前の乳幼児でも、性衝動を持っているのだから不思議なものだ。
対して、「身体的性的コミュニケーションの動機」とは、「性衝動」より高次的なものである。
「身体的性的コミュニケーションの動機」は、社会性のある動物しか持ち得ないもの。
自分の性衝動を乗りこなし、自分の衝動に突き動かされながら、相手とコミュニケーションを取っていくのだ。

痴女であることと痴女になりきることは大きく違う

「性衝動(リビドー)」が行動規範な女性は、ナチュラルボーン痴女である。
ナチュラルボーン痴女は、自分の性欲を満たすことが目的だから、原則として自分勝手であり、男性の欲求の解消などは直接的な動機には成り得ない。
であるため、ナチュラルボーン痴女が稼げる風俗嬢ではない。
生まれながらにして性衝動に突き動かされるナチュラルボーン痴女は、相手である男性の思いは考慮しない。
もちろん、金銭の授与に対しても衝動とは成り得ないから、性的欲求を満たす仕事である風俗嬢ではないのだ。

ぽっちゃりが連想させる偏見を覆せ

食欲があることと太っていることはニアリーイコールに捉えている人は多いぽっちゃり属性で注意すべきなのは、だらしのない人間と誤解されないようにすることだろう。
ぽっちゃりということは、三大欲求のもうひとつである、食欲を制御できない人間だととらえられがちである。
構造的には、自分の性欲を制御出来ないナチュラルボーン痴女と同様で、自分の欲求を制御できない、だらしのない気質であるという偏見だ。
もちろんそれは偏見であって、太めだからといって自分の欲求に振り回されている気質だということと必ずしも等しくはない。
太っている人がだらしのない人という偏見は、2000年代の欧米の傾向の影響であろう。
だが、欧米とくにアメリカの太っているということの定義はかなり限度を逸している。
しかし、性風俗店で従事するぽっちゃり風俗嬢は、やはりプロとしてエクスキューズすべきことのひとつに、自分はナチュラルボーンぽっちゃりではなく、自分の欲求を制御できるプロの風俗嬢であることを匂わせる必要があるだろう。
それは「(ぽっちゃりだけど)だらしのない人間ではありません」というエクスキューズである。
それを相手に正確に伝えるには服装であったり、所作、しゃべり方であったりと内面、外見問わず、気を配る必要があるというわけだ。
それは、プロの性風俗店に従事するものであるなら、ぽっちゃりであろうとなかろうとあたりまえのことなのだ。

採用面接に臨む場合でも同様の注意をすべき

「(ぽっちゃりだけど)だらしのない人間ではありません」というエクスキューズは、男性客に接客をする最初の5分できちんと伝えなければならない。
その人を評価する物差しは第一印象が何よりも大事だ。
だからこそ、私はこういう者だと一目瞭然に分からせなければ意味がないのだ。
それは、リピーターを獲得するためにも必要なことだ。
働く場合でも同様のメッセージを、面接時に面接官に与えることができなければ、やはり採用への道のりは難しいのではないかと思っている。
自己中心でだらしのない人間は性風俗店でなくともどんな業種でも採用はされないだろう。
お店にとって、ぽっちゃりは利益を生むための1つのツールにしか過ぎないからだ。
まじめでやる気のあることは、どのような求人に応募するにおいても必要最低限の条件なのだから。
次回はわたしが経験してきた、風俗業界の今、昔のことを書きたいと思う。